世界最高峰


私の母、大田祥子は40歳の時に突然「エベレストに登りたい!」と言い出しました。最初は家族全員が冗談だと考えていましたが、まずマラソンを始め、43歳の時に大阪国際女子マラソンを3時間23分で完走しました。山登りもどんどんエスカレートし、ガイドブックに載っているコースタイムの2/3くらいのスピードで歩くので、もっぱら単独行でしたが、当時の手帳を見ると南北アルプス全山縦走などを驚異的なスピードで駆け抜けています。

しかし、安全第一と考えて冬山は登らない主義で、山ばかりでなく仕事も医師として病院を支え、多くの患者さんの信頼を集め、家庭菜園も趣味のレベルを超える広大さでした。ところが50代半ばで初めてヒマラヤトレッキングに参加してエベレストを眺め、当初の夢が再燃した様子です。以来、毎年のようにヒマラヤの高峰にチャレンジし、最初は6,000m峰、徐々にステップアップして、61歳の時に8,201mの世界第5位の高峰チョー・オユーに登頂し、63歳の時に満を持してエベレスト公募登山隊に参加しました。

2004年4月、チベット側から入山して前進キャンプを設営しながら順調に高度を上げて行き、5月20日にいよいよ頂上アタック!日本人女性として6人目の世界最高峰登頂を果たしました。ところが下山中、8,500m付近におけるアクシデントにより、17年経った今でもその場で眠っています。今となっては「本望だったでしょう!」と思うしかありません。

皆様にお伝えしたいことは、高山に限らず里山でも事故は起こります。実際「ちょっと山に行ってくる」と出かけたまま帰ってこない人が全国で年間何十人もいて、どこの山に行ったかわからないので探しようもないケースも多いそうです。昔から山では「怪我と弁当は自分持ち」と言いますので、備え(保険加入・登山届・予備バッテリー・非常食・日帰り予定でもヘッドライト等)だけはしっかりしておきましょう。