1971年7月17日21時40分、福山発~23時55分広島から急行「ちどり」に乗車。職場の先輩に誘われて夜行列車で大山を目指したのが、当時20歳だった私の山登りの始まりだった。6時過ぎに米子に着き、もう1人の先輩と合流。前夜からの雨も上がり、女3人の登山が始まった。
初めて登山靴をはき、あれもこれもと詰め込んだキスリングザックを背負って意気揚々と夏山登山道を軽快に登った。下山してくる人と交わす親しみのこもった「こんにちは」というあいさつに元気をもらった。休憩を取りながら小雨と晴れ間を繰り返す7合目まで来た時、再び激しく降り始めた雨が、アノラックを通して体をぬらした。体力を消耗しながらも無我夢中で登ってゆく。12時4分、初めての頂上に3人とも感無量。
おにぎり1個の昼食後、13時に縦走開始。山霧の中に浮かぶように続く痩せ尾根を、声を掛け合いながら進む。ガイドブックとは全く違う状況だ。縦走を終了して「砂すべり」を下りる。一歩踏み出すたびに体がズルズル下降、転倒しないよう必死にバランスを取りながら、無事元谷へと下山した。帰途、車中から夕日を受けた雄大な伯耆大山が、私たち3人を見送ってくれた。その美しい姿は今も鮮明にまぶたに焼き付いている。
その後山岳会に入会。四季折々通ううちに大山が「わが心の山」となった。先輩や友人と山行を共にする中で多くの出会いと別れを経験。共に登った記憶は人生の財産だ。蔵王山のふもとで生まれ、子供のころから慣れ親しんだ故郷の山が私の山登りの原点。晩年を迎えた今、多くの人から親しまれる蔵王山を、ゆっくり歩きで楽しみたい。