8月1日〜8月4日 湯俣―北鎌尾根―槍ヶ岳―伊藤新道(第 5070 回)
メンバー:米原啓太 佐藤竜也 2名

 

 この夏、湯俣から水俣川を遡行し、北鎌尾根を2峰から取り付き、槍ヶ岳を目指すクラシックルートに挑戦してまいりましたので報告いたします。
 まず初めに、この山行を共にした佐藤竜也さんに深く感謝申し上げます。彼の山に対する真摯な姿勢と温厚な人柄のおかげで、行程の全てが心地よい、記憶に残る山旅となりました。ありがとう。
※スマホが途中で壊れてしまい正確なログが取れませんでしたので文中の時間は私の記憶で書いています。

 

 

 

[8月1日]

 夜勤を4:00で終えてそのまま佐藤宅へ。5:00福山発。眠たいので運転を任せて3時間ほど寝させてもらう。運転を交代しながら高速を飛ばし15:00ごろ七倉山荘着。アルピコタクシーで高瀬ダムへ。(2400円)向かう途中に運転手に直近の天気を尋ねると当分雨は降っていないとのこと。沢の水量は問題なさそうだと少し安心する。高瀬ダムでタクシーを降りて晴嵐荘のテン場を目指す。2時間ほど歩くと晴嵐荘が対岸に見えてきた。湯俣山荘の前を通過する頃、強い夕立に振られる。初日からあまり濡れたくないので急いでテン場へ向かう。対岸へは吊り橋ではなくケーブルカーのようなシステムで渡るようになっていた。椅子が濡れていたため尻が濡れてしまった。17:30ごろ晴嵐荘に到着。受付を済ませる頃には雨は上がっていた。テントを張って明日のルートを確認し、夕飯を済ませてさっさと寝た。ちょっと寝不足気味だったのでよく眠れた。
(テント1張り2000円、利用費1人500円)

[8月2日]

 3:00起床。飯を食べてテントを片付ける。トイレを済ませて4:30出発。この日は計画書では槍ヶ岳山荘のテン場を目指すことにしていたがルートの進捗次第では北鎌尾根のどこかでビバークすることになりそうだ。前日の夜、2人で「なんとか北鎌平までは行こう」と打ち合わせた。ハードな1日の始まりだ。
 テン場を出て伊藤新道分岐へ。帰りに通る伊藤新道を見ると湯気がたちのぼり辺りは硫黄の匂いがした。沢の水は白く濁っている。吊り橋を渡り水俣川へ入渓。水量は多分そう多くはないと思う。水は透明で同じ山域でも沢が一本違うだけでこんなに違うのかと不思議に思った。
 登山靴から沢用に持ってきたビブラムファイブフィンガーに履き替える。佐藤はマリンシューズ。事前に三俣山荘に情報収集のため連絡した際「水俣川は結構ヌメリが強い」と聞いていたのでどんなものかと思っていたが確かに川床はヌメっていた。しかし普段行っている沢が中四国のヌメヌメ沢なので全く問題ない。
 渡渉点を見極めなるべく濡れないように渡渉とヘツリを繰り返す。水がめちゃめちゃ冷たい。ずっとつけていると足の感覚がなくなるほどだ。素晴らしい渓相を進むと2時間ほどで千天出合に到着。天上沢へ進む。だんだん沢登りっぽくなってくるが難しいところはない。大きな滝が現れたが右岸を高巻き。うっすら踏み跡があった。そこから少し進み7:40ごろP2の取り付きに到着。見えにくいがテープがあった。ここで沢装備を解除し大休憩。乾いた靴下と登山靴に履き替える。万事順調だ。沢で水を1人3.5リットル汲んで浄水した。いよいよ北鎌尾根に取り付く。
 地形図通りいきなりの激登り。しかし薮はたいしたことはなく踏み跡もある。気温も思っていたより暑くなかったので歩きやすい。登るにつれて斜度がさらに急になり木の根を掴んで登る急登になった。
 途中、少し平らなところでザックダウンし水分補給。水を飲み終え、ザックを担ぎ上げようとした時にショルダーストラップに付けていた記録用カメラのGOPROを谷底に落としてしまった。後ろを歩いていた佐藤が「取りに行きますか??」と気を使ってくれたがもはや見つかる可能性はほぼ無いので諦めた。
 気を取り直して進むと尾根に乗った。ここからは槍ヶ岳までこの尾根を進むのみ。暫くは踏み跡も微かにあり、歩きやすかったがP3手前ぐらいから薮が濃くなってきた。ハイマツの手強い薮を掻き分けながら進む。踏み跡なのか獣道なのか分からないがそれっぽいところをとにかく尾根通しに進む。薮と格闘しながら進むと10:30頃、開けたP4のピークに出た。テントを1張りできるスペースがある。
 小休憩をはさんで先を急ぐ。少しは歩きやすくなるかと思ったが甘かった。
 ハイマツの薮はさらに密度をあげて行く手を阻んだ。もはやどの辺りを歩いているのかもわからない。痩せ尾根なので気付けばハイマツの上を歩いているなんて事もあった。窒息しそうなほど濃い藪をもがき、泳ぐように進むと開けた岩稜に出た。時刻は11:30。ここで休憩を取ることにした。
 写真を撮ろうとスマホを出すと急に画面が真っ暗になりそれっきり使えなくなってしまった。沢で水没させて壊れたらしい。無念。P7を目指す。
 岩稜や藪を越えていくと少し緊張するクライミングになった。事前に調べた情報ではロープを出すようなクライミングはないと思っていたがロープを出すことにした。ハーケンが所々に打ってある。どうやら冬季のルートを通っているようだ。2ピッチ目は草付きのクライミング。そこを登り切ったところでロープを解除して先へ進む。そこからはどこがP7かわからぬまま気付けば北鎌沢のコルに出た。14:00過ぎ。
 テントが2張りぐらいできそうな真っ平なスペースで大休憩。藪漕ぎで2人とも少し疲れていたがここからはよく歩かれているルートなので少しホッとしていた。
 とはいえ北鎌平まではまだある。しっかり水分とカロリーを補給して出発。
 ネットの写真でよく見た独標のトラバースを通過。P13あたりで強い雨に降られた。時刻は16:00を過ぎていたと思う。この辺りから私のルーファイミスが多くなった。疲労から集中力が途切れているのを自分でも感じていた。どういうわけかざれたルンゼが踏み跡に見えてしまいやたらと引きつけられてしまう。気がついたらかなり危険なクライムダウンをしてしまい佐藤にロープを投げてもらい助けてもらった。
 佐藤に先頭を変わってもらい先へ進む。浮石を踏み、足をぐねらせた佐藤が石にキレている。もう2人ともヘトヘトだ。大きなギャップが現れた。普段ならクライムダウンするような所だが雨の中2人とも集中力を欠くこの状況では1ミスが命取りになりかねないと思い、懸垂で降りようと提案した。ロープを出すのは面倒だったがここは確実に行きたい。しっかりした下降支点もあったので4メートルほど懸垂下降した。そこからはチムニーを通過したりしたと思うがあまり覚えていない。気付けば雨は上がり青空が出ていた。今までガスで見え隠れしていた槍ヶ岳がくっきりと姿を現した。
 進む先に平らな稜線が見える。もうこれ以上の行動は危険と判断し「この上に上がって北鎌平じゃなかったとしても今日はここでやめよう」と佐藤に提案した。
 稜線に出るとそこはテントが3張りぐらいできそうな素晴らしく平らな所だった。「北鎌平だ!」2人で雄叫びをあげ目的地に辿り着けたことを喜んだ。時刻は17:30過ぎ。
 テントを張り、濡れた装備を全て脱ぎ、パンツ一丁でしばしくつろぐ。素晴らしい夕暮れ時だ。腹が減ったので私がお湯を沸かす準備をする間、佐藤は明日のルートの偵察に向かった。
水の残りが少ないのでアルファ米に入れる水をケチったらボソボソの硬い飯になってしまった。まあなんでも食えればいい。もう500ml多く担いでいればと後悔したが明日は少し辛抱すれば槍ヶ岳山荘もあるので水は補給できる。飯を食って暫く外でマッタリして夕暮れを堪能した。寒くなったのでテントに入り、明日の行程をなんとなく話し、寝た。疲労と標高が高いせいもあるのか眠りは浅かった。

[8月3日]

 3:30起床。行動食を手早く食べて準備。4:30ヘッデンスタート。いよいよ槍ヶ岳へ向かう。もう空は薄明るく遠くの空が朝焼けしている。昨日はヘトヘトだったが食って寝たら完全回復。人間の体はすごい。実は2人とも初の槍ヶ岳だった。私は今まで山をやっていて富士山も槍ヶ岳も行ったことがなかったので「本当に登山してるのか?」とか「もぐりだ」とか言われ(言われたように思っただけかも)会話のマウントを取られたがこれでようやく対等に話ができるようになる。私の初めての槍は北鎌尾根からだ!!
 快適なクライミングを続けると頂上の塔婆のようなものが見えてきた。6:00ごろ槍ヶ岳登頂。佐藤と握手をして喜んだ。本当は少し泣きそうだったし、余韻に浸りたかったが既に頂上には人だかりができていた。
 さすが槍ヶ岳。写真撮影をお願いして写真を撮ってもらう。下山の渋滞に巻き込まれないようさっさと降りた。続々と登山者が登ってきている。6:40ごろ槍ヶ岳山荘到着。コーラを買って水を補給して短パン、Tシャツに着替えザックの中を整理した。今日は後半に伊藤新道の通過が控えている。午後からは雨予報だ。
できるだけ早く沢パートに入りたいので当初予定していた双六岳と三ツ俣蓮華岳はショートカットして三俣小屋を目指すことにした。7:30出発
 ここから三俣山荘まではご褒美ゾーン。晴天の中、西鎌尾根をゆく。双六小屋に10:30着。小休憩してショートカットルートを行く。スピードを上げて歩いていると佐藤とだいぶ距離が空いたことに気付き待つ。ランナー膝と思われる症状を発症してしまい痛みでペースダウン。ロープなどの重い荷物をこちらにもらいダブルストックを貸す。トレランを本気でやっていた頃、同じ症状に苦しんだことがあったので秘孔を知っていた。

 ゴッドハンドを炸裂(マッサージ)させて痛みを消す。「マジで治った!」と佐藤は言っていたが本当は後半、根性で歩いてくれたと思う。
 三俣山荘に12:00前に到着。伊藤新道を通る登山者は必ずここで通行届を出さなければいけない。
受付を済ますと、注意事項を説明された。
 12:20発。今回の第2核心伊藤新道のスタートだ。トラバース道を歩いていると雨が降り始めた。伊藤新道から続々とパーティーが登ってきてすれ違う。みんな顔が疲れている。「三俣山荘まであとどのくらいですか?」とすれ違ったほとんどのパーティーに聞かれた。一体何があったんだ…。
 佐藤の足を少し気にしながらペースを保つ。展望台14:30頃着。地形図から見てヤバそうだなと予想していた展望台からの激くだり。歩いてみて納得。確かに悪路だ。建設予定とされていた避難小屋は完成していた。ようやく沢が見えてきた。雨はかなり強く降っている。沢に降りた。時刻は15:30。
 2人組のパーティーとすれ違う。どこまで行くかと尋ねると三俣山荘までと言う。4:30到着予定で計画を立てていると言うのでまだ3時間以上かかる旨説明して雨も酷いので最悪、樹林帯か避難小屋でビバークすることを薦めた。
 心配していた湯股川は大して増水していなかった。(普段の水量を知らないが)先に越智会長の例会山行で歩いていた縦走部の廣瀬に飲み会で色々話を聞いていたので、どんなものかと思っていたが渡渉は沢登りをやっている人なら問題ない。しかし沢の経験がない人は大変だろう。行こうと思っている方は沢登りをある程度経験してから行くことをお勧めする。構造物は全て大雨で流されているので場所を見極めて渡渉を繰り返す。水が白く濁っているので川床が見えない。三俣小屋のスタッフに、ごく最近噴火があり新しい噴湯丘が出現したらしく水量が増えていると聞いた。仕組みはよくわからないがその濁りなのだろうか?
 デカい岩をクライムダウンする箇所に来た。下降用の支点があったり、ホッチキスのような階段がつけてあったりどうやって降りるのかわからない。「廣瀬、どうやって行ったんだ??」と佐藤と顔を合わす。わからないのでロープを出して5メートルほど懸垂下降した。(後で調べると「ガンダム岩」と言うそうで伊藤新道のランドマーク的な存在のようだ)
 伊藤新道分岐に近づくにつれ、あたりは湯気がもうもうと湧き立ち川床が黒くなっているところが出てきた。雨が降ったり止んだりで体はずぶ濡れだった。佐藤は前日の藪漕ぎでマリンシューズを片方なくしていたので登山靴で歩いている。もはや乾いた衣類はザックの中の寝る時用の下着とラスト1足の替え靴下のみ。ずぶ濡れの2人に追い打ちをかけるように強い雨が降り出した。
 18:30晴嵐荘着。やり切った。ずぶ濡れのままテン場の受付に行くと小屋の若いご主人が濡れたままでいいから中に入って着替えろと食堂の中へ入れてくれた。乾燥室も使っていいと言ってくれて本当に助かった。もうすぐ雨が止むから中で待っていいよと言ってくれたのでお言葉に甘えて中で着替えて待たせてもらった。本当にありがとうございました。次は野湯を嗜みに必ず戻ってこようと心に決めた。ご主人の言った通り雨が止んだのでテントを張った。食事も食堂を使っていいとの事だったので使わせていただいた。コーラを買い乾杯した。どっと疲れと安堵感が押し寄せた。ハードな山旅が終わった。

[8月4日]

 よく寝た。4:00起床。飯を食べて5:00出発。
天気は快晴。帰りに小屋の前の川を見ると全体が黒くなっていた。噴火のせいだろうか?不思議。
高瀬ダムには7:00頃着いた。アルピコタクシーを呼ぶため公衆電話を使う。まさか10円玉のやつだったらどうしようと2人で話しながら歩いていたが本当に10円玉しか使えない公衆電話だった。2人とも10円玉を持っていなかったので焦ったがボックスの中にケースが置いてあってその中に10円玉が入っていた。ありがたく使わせてもらいタクシーを呼んだ。(運転手に聞くとこの10円玉は誰かの善意によるものらしく無い時もあるそうです)
 8:00前に七倉山荘着。七倉山荘で風呂に入る。8:00から開店らしいがもう入っても良いとの事なので入らせてもらう。(680円)久しぶりの風呂で全身の汚れを洗い流した。湯船に浸かった佐藤が悶絶した。藪漕ぎで足と腕が傷まみれなので痛すぎて入れないらしくサッサと上がってしまった。外湯でゆっくり浸かって山の思い出を思い返しながら余韻に浸ろうと湯船に浸かったがどこからともなくアブが2匹飛んできて頭の周りを「早く出ていけ」と言わんばかりに飛び回った。仕方なく出た。帰りの帰路でまた新名神に乗り損ねた。(終わり)

 

感想

有名なルートではありますがトロフィーを貰ったかのような達成感と喜びがありました。今までの自分がやってきた縦走、沢、クライミング、全部出し切れた思い出に残る山行でした。これぞ北鎌!これぞクラシック!(米原)

憧れの槍ヶ岳へ。ルートは北鎌尾根の根元から。米原リーダーのおかげで数年越しの計画を実行することができました。今回の山行の核心は北鎌尾根P2~北鎌のコルまで。あのモーレツな藪漕ぎはもう二度としたくありません(笑)。あと、下山途中にランナー膝を発症してしまい、米原さんの秘孔術がなければ、私は山から下りることはできなかったと思います。槍ヶ岳までの道のり、伊藤新道の渡渉など様々な難所を突破することが出来たのは信頼できるパートナーの存在はもちろん、クライミングや沢登りなど日々の取り組みのおかげだと思います。アルパインの基本は知識、技術以上に体力、登攀力なのだと再認識しました。今後もトレーニングを積み、さらなる高みを目指したいと思います。(佐藤)